産後ハゲた私。のその後

脱毛症と生きていくこと

前回の記事↓↓

私は、重度の脱毛症に罹って、7年。

時に、辛くなる事や、投げやりになる事、自分の容姿に落胆する事もありますが、普通に生活しています。

髪の毛が無くなってしまって、思うのが、

こんなにも、髪の毛って大事だったんだ。生えてた時に、もっと大事にしてあげておけばよかったなぁ”

なんて。。。

でも、もう無くなってしまったものは、しょうがいない。

いつまでも、メソメソしていられないのです。

髪が抜けて、3か月くらいは、気が付けば涙が溢れてくる・・・なんで、私が!と怒りさえ込み上げてくる、そんな不安定な時期でしたが、

段々と、

病気で容姿が変わってしまった自分へのマイナスの気持ちが、ありのままを受け入れる気持ちへと、

時間の経過と共に変化していきました。

もちろん、自分の身近な人、家族や、友人の存在が大きかったです。

沢山励ましてもらいました。

そして、容姿を以前のように、蘇らせてくれるウィッグは、私にとっては洋服と一緒で、社会生活を送る為に、必要不可欠なもので、私に生きる勇気を与えてくれました。

私が、髪の毛が一本もない状態になったのは、長女が産まれて6ヶ月の頃でした。

ウィッグをとったり、被ったりする私の姿を見て、自分の髪の毛も取れると思ったのでしょうか、一生懸命、自分の髪の毛を引っ張っていた事がありました。

この子が物心つく頃には、治っていたいな、でも、もし物心ついて母親の髪の毛が無かったら、子供はどう思うんだろう。

辛いかな、嫌かな。。。

そんな事を心配していましたが、

私の髪の毛は生えてくることなく、月日は過ぎて、長女は3歳になりました。

ある日、突然

「ママはなんで髪の毛がないの?みんな、髪の毛生えてるのに」

と娘が不思議そうに言いました。

娘は日々の生活の中で、私が他のお母さんとは違うという事を、いつも感じていたのでしょう。

「ママも、昔は髪の毛生えてたんだけど、病気になって髪の毛が全部抜けてしまったんよ」

と伝えました。

「なおる?」

「うーん、わからない。治せるお薬が今はないんだよ」

「・・・」

その時の、娘の悲しそうな顔、、今でも覚えています。

「でも、髪の毛は無いけど、ママの体はめちゃくちゃ元気なんだよ。お仕事も出来るし、ご飯も作れるでしょ?かつらを被ったらみんなと一緒だよ」

そういうと、娘は、

「ママの頭はキレイだよ。はげちゃんのママもだいすきだよ」

と、そう言ってくれたのです。

小さな娘が私に、一生懸命言ってくれたその言葉が嬉しくて、、

その言葉が、どんなに私を前向きにしてくれたか。。。

今、7歳になってちょっと反抗期を迎えた長女に、このことを伝えたら、照れてハニカム顔がとっても可愛いのです。

もう、あっという間に7年が経ちましたが、私はお仕事も出来ているし、長女を産んで、約3年後に次女を出産しました。

そして、今3人目を授かりました。

重度の脱毛症を患いましたが、私は幸せです。

街を歩いているとなんとなく視線を感じて、カツラがバレて笑われているのかもと、被害妄想をしてしまいそうになる事もありますが(実際、そうなのかもしれませんが。)、そんな小さな事なんて気にせずに、自分をしっかり持って生きて行きたいと思います。

私は、ウィッグを被らないと、自身を持って社会生活を送れませんが、中には私と同じ病気の方で、病気の頭を隠さず、社会生活を送られている方もいます。

私には出来ない事ですが、自分らしく生きる、そんなお手本のような尊敬する存在です。

その一人として、

スコットランドのTVでプレゼンターやモデル、女優として活躍されていたゲイルポーターさん。現在49歳。

34歳の時に、脱毛症を発症してすべての髪の毛を失いました。

帽子やカツラなどで脱毛症を隠すことなく、メディアにでたり、脱毛した子供にかつらを提供する慈善団体であるリトルプリンセストラストの大使になって、脱毛症で苦しむ方々の為に活動されている素晴らしい人です。

https://kirikids.exblog.jp/3410666/より

脱毛症という病気。見た目が変わってしまって、時には偏見の対象となって、精神的にとても辛い病気です。

現在は、有効な治療法が確立されていなくて、効果があるのか、無いのか、分からないような治療を手探りで受けるような現状です。

海外では、有効な治療の研究が、今少しづつ進んできています。

**きっと、治る病気になる事を願って、日々前向きに**