私は、全身の毛が抜けてしまう、汎発性脱毛症を患っています。
27歳の時に発症してから約9年。今も全身の毛が無いままです。
発症した当初は本当に辛く、泣いてばかりの日々でした。
私の場合は、前向きに生きていこうと思えるまで、2年近くかかりました。
少しずつ病気を受け入れる事ができ、ウィッグを被って、仕事へ出られるようにはなりました。
しかし、ウィッグを被ったまま働くのは、正直、しんどいです。
なので、パートタイムで、4時間~6時間くらい働くのが限界です。
不自由さを感じながらも、それでも、社会生活が送れるようになったことで、ずいぶん気持ちが変わりました。
もう、この病気の自分を、受け入れた!大丈夫!と前向きな時もあれば、
不意に悲しくなり、たまに涙が溢れてくる、そんな時もありながら過ごしてきました。
まだ、完全には脱毛症になってしまった自分を受け入れられず、苦しんでいたんだと思います。
私は、ウィッグを被るのは好きではありません。頭が蒸れるし、頭が痛くなるし、痒くなるし。
ただウィッグが無いと外出できないと、そう思って被っている部分が大きいのです。
だから、私は家ではウィッグは被っていません。
家族は何も言わず、普通に接してくれるので、唯一脱毛症の私をさらけ出せる場所と思っていました。
しかし、1年程前に、初めて夫から「たまには家でもウィッグ被ってよ」と言われました。
夫とは、25歳の時に結婚をして、子供が3人います。
夫は、脱毛症になる前の私と結婚したので、容姿も重要だったのだと思います。
私自身も、容姿が変わってしまってごめんね、という気持ちはありましたが、
そう言われるまでは、
家でウィッグを被っていなくても何も言わない夫に、私は感謝していましたし、安心していました。
この病気になっても、前向きな気持ちを持って生きてこられたのは、病気の自分を受け入れてくれている家族がいたからでした。
夫にそう言われてから、
私は、裏切られたような、なんとも言えない気持ちになりました。
生きていくのが辛いとさえ、思いました。
唯一の安心して過ごせる場所が、実は違っていたんだと絶望しました。
そして続けて夫は言いました。
「ウィッグを被ってたら、やっぱり可愛いし、昔の〇〇(私に)に会える感じでドキッとするから」と。
そして、気がつきました。
私は、誰かを喜ばせる為にウィッグを被っているのではない。おしゃれ感覚でウィッグを被っているのではない。
生活をするために、生きていくために、本当は被りたくも無いウィッグを被っているんだ。
本当はウィッグなんて被らずにありのままで、家の中だけじゃなくて、外でもそうして生きていきたい。
私は、夫にわかって欲しくて、たくさん訴えかけました。
でも、分かってはもらえなかったのだと思います。
それからというもの、夫の要求は、言葉ではなく態度で示してくるようになりました。
外出から帰ってウィッグを真っ先にとる私に、がっかりしたような表情を浮かべたり、
わざとカーテンを開けて外から家の中が丸見えになるようにして、私にウィッグを外させないようにしたり、、
夫にも何かしらの事情があるのだと思いましたが、脱毛症という病気を抱えた私にとって、夫の行動は耐えがたいものがありました。
いずれは別れて別々に生きていく選択をした方が、お互いの幸せなんだろうなとそう感じました。
わがままかもしれませんが、私はこのスキンヘッドな私を一番受け入れて欲しいのです。
そのためには、自分自身が変わらないといけない。
多様性を認める社会に変わってきているこの時代で、
私は、スキンヘッドな自分を好きになろう!!と、そう思えるようになりました。
案外、スキンヘッドな私はかっこいいじゃないか!
このまま外でもありのままの姿で生きていけたら、夏とかかなり快適だろうなー
いつか、勇気が出たら、私はそのままの姿で生きていこう!
娘に、「お母さん、いつか勇気が出たらありのままのこの姿で、生きていきたいと思ってるんよ!」と言うと、すぐに「いいやん!」と言ってくれました。
一緒に歩いてくれる?と聞くと、当たり前やんと(*´ω`*)
夫から、言われた言葉で落ち込みましたが、
娘とのやり取りで、私はかなり救われました。
今までは、ウィッグってばれたくない、隠したい!そんな気持ちで生活していました。だから、いつもヒヤヒヤしながら外出していました。
でも、ウィッグって気がつかれてもいいじゃない、その時は、ラッキーと思って、どんどんカミングアウトしていこう!!
そして、徐々に、自分をさらけ出せていけたらいいな。そう思えるようになりました。
私は、自分の意識が変わった事で、以前より気持ちが楽になりました。
夫の言葉で気がつく事ができたのです。
ある意味感謝です。
この病気とともに仲良く生きていく、私はそう決めました。
夫はその後、あからさまな行動は減りましたが、夫婦二人でいる時など、さり気なさを装ってウィッグを被るように仕向けてきます。
正直、心は傷つきます。
脱毛症の方、全てが私のような考えではないですが、
私自身は、病気で髪の毛が無くなってしまった自分を認めて、受け入れてくれることが、一番の治療であり、幸せを感じられる事です。
ウィッグを被るか、被らないかは、自分自身が決めることであって、被れと言われて被るほど悲しいものはありません。
いつか、夫がその事を理解してくれることを願っています。
いつか、スキンヘッドな私で出かけられますように。