
私は、髪が生えていた頃、元々は、黒髪のきれいなストレートでした。
まつ毛は、友達から、爪楊枝5本くらい乗りそうー!なんて言われるくらい長くて。
自分でも気に入っていました。
二十歳の時、看護師として働き始めた頃、初めて円型脱毛症になりました。その時は、一箇所だけで、いつの間にか治っていました。
当時は大学病院に就職し、初めて社会人としてデビュー。
夜勤も月4~5回、2交代制で、残業も多く、心身共に疲れていたのかもしれません。
そして、25歳で結婚をしました。
その頃、ところどころに脱毛症ができるようになっていましたが、隠せる範囲だったので、あまり気にも、とめていませんでした。
結婚式も、付け毛や装飾でほとんど自分の髪の毛で綺麗にしてもらえました。
26歳で妊娠し、妊娠をきっかけに、ホルモンの関係で体全体が毛深くなり、脱毛症も同時にほとんど良くなっていました。
妊娠も出来て、脱毛症も治って、幸せでした。

無事に、27歳で第一子を出産して、初めての子育てで大変でしたが、幸せを感じながら育児に励んでいました。
そして、産後5ヶ月経った頃から、髪の毛が大量に抜け始めました。
最初は楽観的に考えていました。
髪の毛が抜けていても、旅行へ行ったり、プールへ連れて行ってあげたり・・


でも、どんどん髪が薄くなっていって、気がつけば腕の毛までも抜けているのを見つけたときは、恐怖でした。
悲しみと恐怖。
毎日泣いて。
家族や、子育て広場で仲良くなったママ友は、産後脱毛症だから、大丈夫だよって言ってくれたけど。
自分でも分かるくらい、これは異常だって。
外へ出るのが怖くなり、
友達からの誘いも断って。
全部抜けてしまったら、どうやって生きていくんよ!
って、
自分が自分じゃなきゃ良かったのにって、
勝手な事を思って。
抜けてから、3ヶ月経った頃、もう殆ど髪の毛は無くなって、眉毛も薄くなっていて・・。
実家に帰った。
私が疲れて寝てるのを、姉が寝顔の親子写真を撮ってくれていて。
↓これが、写真に写っている、私の髪の毛が生えてる最後の写真になりました。

私の頭を見た母が、気の毒そうな顔で、私を見た。
ストレス溜まってるんと違う?頑張りすぎよ。
って。
涙が溢れて。
『もう抜け毛見たくないから坊主にして』って、
お願いして、バリカンで剃ってもらった。

坊主にしたら、少し気持ちが前向きになって、諦めがついたような。
初めての赤ちゃんを迎えて、たくさん思い出を作って、明るい家庭を築こうとしてたのに、脱毛症で、躓いている場合じゃない。
いつまでもクヨクヨしてはいられない。
そんな強い気持ちを時に持ち、
また、辛くなって落ち込んでを繰り返す、そんな日々が長く続いて。
私は、写真に写るのが、とても嫌いになりました。
脱毛症になって、最初の4年間は楽しそうに笑っている自分の写真がほとんどありません。
スキンヘッドで、日常の写真に写ったり、記念撮影をしたことも、ありませんでした。
家でスキンヘッドのままの私がいると、夫は私が写らないように、気を使って撮影をするのが決まりのようになっていました。
私自身も、撮らんとってよーといってカメラを避けていました。
すごく、つらい期間でした。
しかし、やっと、この病気と向き合って10年。
私は、スキンヘッドのままでも家族の記念写真や、日常の写真に、楽しく写る事が、出来るようになりました。
私が私をやっと認める事が出来たのです。
この脱毛症の姿の自分を認めたことで、私が私として存在できた。
脱毛症を患ったからこそ、今ある自分も大切にしたいなと、そう思えるようになりました。
詳しいプロフィールに使っているこの写真は、お正月に家族みんなで集まった時に撮った写真です☺️

母が撮ってくれて、我ながらいい笑顔です。
頭も光っていますが、笑顔も光っています☺️
こんな風に笑顔で、写真に写る日が来るとは!!

ちゃんさん
はじめまして☺️
コメントありがとうございます!
私こそ、とっても励みになります(^^)お互いに悔いのないよう頑張りましょうね!
はじめまして☺️
私も脱毛症発症して約12年一度完治したと思ったら再発して約8年 やっとこころが強くなってきたと感じてきた頃です。オルミエント始めようかと悩んでいた時ブログ拝見してとても為になりました。今日採血した3月から始めようかなと思います。今は眉毛と頭がすこーしあるだけで殆ど無いです。切実にまつげが1番欲しいですぅー お互い頑張りましょう。ありがとうございます